道を辿る

京都の晴明神社から名田庄の天社宮まで、約43.5 km──土御門家が行き来した道を、地図の上でたどる

京都の晴明神社と、福井県おおい町名田庄の天社土御門神道本庁(天社宮)。星詣が掲載するこの二つを地図の上で結ぶと、直線距離は約43.5 km、方位は北北西になります。本稿は、この線を「ゆかりの地を結ぶ、星詣が地図上に引いた目安の線」として引き、土御門家が京と名田庄のあいだを行き来した歴史を、天社宮の公式由緒とおおい町の案内に沿って整理します。線そのものに歴史上の裏付けがあるわけではありません。

執筆:星詣編集部

結論:線は星詣の目安、歴史は由緒に沿って

線を引く:二つの座標と、途中に何もないこと

起点は晴明神社にしました。晴明公の屋敷跡に建つと伝わる、京の目印として選んだものです。終点は名田庄の天社宮です。二つの座標は次のとおりです。

地点緯度経度
晴明神社(京都市上京区)35.027412135.751175
天社土御門神道本庁(おおい町名田庄)35.396406135.591334

距離は、地球を半径6371.0088 kmの球とみなす大円距離(ハーバーサイン式)で計算し、方位は出発地から見た初期方位角(真北から時計回り)です。結果は約43.5 kmと340.6°。

京都の晴明神社から名田庄の天社宮までを結ぶ、目安の線の略図 北を上にした略図。南に京都の10地点(晴明神社ほか)、北に名田庄の3地点(天社宮・天壇 泰山府君社跡・暦会館)があり、晴明神社から天社宮へ点線が引かれている。座標から計算した直線距離は約43.5 km、方位は340.6度(北北西)。道路や鉄道の経路ではない。 天社土御門神道本庁 (天社宮) 福井県おおい町名田庄 天壇・暦会館も 約0.6 km以内(計3地点) 直線 約43.5 km 方位 340.6°(北北西) 途中に星詣の 掲載地点はない 晴明神社 (京都市上京区) 京都の10地点は 約7 km四方に収まる 北 5 km 座標から計算した目安の線。 道路や鉄道の経路ではありません。
星詣が掲載する京都の10地点と名田庄の3地点、そして晴明神社から天社宮への目安の線(北が上)。座標から作った略図です。

線の途中、起点から約5〜40 kmのあいだに、星詣が載せている地点はありません。京都の10地点は晴明神社から約7 km以内、名田庄の天壇 泰山府君社跡と暦会館は天社宮から約0.6 km以内に集まっています。経由地を巡る道ではなく、二つのまとまりを結ぶ線です。

京から名田庄へ:応仁の乱と、社殿の再興

天社宮の由緒によれば、御神体はもと京の都の、安倍晴明公の邸内社に祀られていました。応仁の乱(1467–77)の兵火で社殿は焼けましたが、御神体は難を免れ、祭料地である若狭名田庄へ遷されたと記されています。

名田庄は、天平8年(736)に聖武天皇が「泰山府君祭料知行地」と定めたと伝わる土地です。長享2年(1488)、土御門有宣がここに社殿を再興し、居城を築いて遷宮の儀を行ったと由緒は記します。

土御門家が応仁の乱を避けて名田庄へ移った、と語られることがあります。ただ、由緒が書くのは御神体が遷されたことと長享2年の再興で、誰がいつ移ったかは記していません。おおい町の暦会館の案内は、土御門家が3代にわたって名田庄に移り住み、天文暦学の道場を開いたと紹介しています。

名田庄から京へ:1601年、梅小路の邸宅

名田庄での暮らしは、永続しませんでした。由緒によれば、慶長5年(1600)、土御門久脩は関ヶ原の戦いののち、勅命により再び上洛します。翌慶長6年(1601)には名田庄を引き上げ、京郊外の梅小路に邸宅を構え、徳川家康から陰陽道宗家として認められて家禄を賜りました。

ここで断っておきます。1601年に土御門家が戻ったのは梅小路で、晴明神社のある上京区ではありません。本稿の線が晴明神社を起点にしているのは、京の側の目印として星詣が選んだからで、邸宅の位置を示すものではありません。

そのあと:禁止、再興、そして名田庄へ

明治3年閏10月17日、明治政府は「天社神道禁止令」を出します。由緒によれば、社殿は取り壊され、土御門家は京都の邸宅や天文台を失いました。それでも御神体は、維新から78年のあいだ、代々の当主の手で守られたと記されています。

昭和17年(1942)に土御門神道同門会が結成され、昭和21年(1946)5月21日に「天社土御門神道」として再興、昭和29年(1954)1月11日に宗教法人として認証されました。御神体は京都での仮安置ののち、名田庄へ改めて遷宮されたと由緒は記します(遷宮の年は不明)。

編集部注:土御門家と天社土御門神道の関係

編集部注:天社土御門神道と土御門家(旧子爵家)の現在の関係について、天社宮の公式由緒は「土御門家ならびに同門諸氏」による再興を記す一方、第三者の資料には「土御門家の現当主は関与していない」とする記述もあります。両者の見解は一致しておらず、本稿はいずれかを断定しません。

道のり:直線と、実際に走る距離

約43.5 kmは直線の距離で、道のりとは別です。京都市内から名田庄へは、国道162号(周山街道)で約2時間という案内があります。鉄道の経路は、確認できていないためここでは書きません。訪ねる前に、天社宮とおおい町の最新の案内をご確認ください。星詣の現地確認日は、なしです。

よくある質問

京都の晴明神社から天社宮までは何キロですか?
座標から計算した直線距離は約43.5 kmです(方位は北北西、340.6°)。実際の道のりは別で、京都市内から国道162号で約2時間という案内があります。
この線は、土御門家が実際に通った道ですか?
いいえ。晴明神社と天社宮を結んだ、星詣が地図上に引いた目安の線です。歴史上の街道や経路を示すものではありません。
土御門家はなぜ名田庄にいたのですか?
天社宮の由緒は、応仁の乱の兵火で京の社殿が焼け、御神体が祭料地の名田庄へ遷されたと記します。名田庄は泰山府君祭の料地とされてきた土地です。家の移住の事情そのものは、由緒には詳しく書かれていません。

出典・参考

  1. A陰陽道宗家 天社土御門神道 天社宮「由緒」(伝承部分は「〜と伝わる」として引用) onmyodo.jp/shakaku
  2. Aおおい町観光情報「暦会館」(土御門家の名田庄移住) www.town.ohi.fukui.jp/kankou/map/history/p16404.html

等級:A=一次資料(公文書・公式由緒・自治体公式。伝承部分は「〜と伝わる」と表記)/B=学術・百科事典