元禄十年建立の両部大鳥居
参道の正面に立つ朱塗りの大鳥居は、元禄十年(1697年)に建立された両部鳥居で、本柱の間隔六・七五メートル、高さ八・一メートル。「賀茂下上大明神」と記された扁額は高さ二メートルに及び、福井藩の儒学者・伊藤坦庵の筆と伝わります。
福井県指定有形文化財で、令和二年(2020年)に解体修復を終え、令和四年(2022年)には創建千三百年を祝う奉祝大祭が営まれました。二本の縄を一本に締め込んだ注連縄は、夫婦和合を表すと伝わります。
賀茂神社は、福井市の南西、志津川沿いの小高い森に鎮座する古社です。養老元年(717年)に京都の賀茂両宮の神霊を勧請したと伝わり、「賀茂下上大明神」と尊称されます。安倍晴明公の師と伝わる賀茂氏を遠祖に仰ぎ、その秘伝書に基づく三百種を超える守札で知られます。
社伝によれば、養老元年(717年)、社家・廣部氏の祖である廣部民部が、京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御神霊をこの地に奉斎し、「賀茂下上大明神」と尊称したのが始まりと伝わります。『延喜式』神名帳に載る丹生郡の「雷神社」に比定される式内社の論社で、近代の社格は郷社。神職は創建以来、廣部家が代々奉仕し、現宮司で四十五代を数えると社伝は記します。
その後の崇敬も厚く、天慶年間(938〜947年)に越前国司であった源満仲の寄進を受けたのをはじめ、南北朝時代には護良親王から社領の寄進と諸役免除を、戦国時代には朝倉家からの諸役免除、羽柴秀吉・丹羽長秀の禁制の下付を受け、江戸時代には福井藩主松平家の代替わりごとに社参があったと伝わります。天正年間の一向一揆で社殿が兵火に遭い、元禄年間と明和三年(1766年)にも火災に見舞われましたが、そのたびに再建され、本殿は文化十四年(1817年)、拝殿は大正六年(1917年)に建て直されました。
陰陽道との縁は、この社が仰ぐ遠祖・賀茂氏にあります。京都の賀茂氏、なかでも賀茂忠行・保憲父子は晴明公に陰陽道を伝えた師と伝わり、当社は「遠祖賀茂氏より伝えられし秘伝書」によって三百種以上の守札を奉製すると社伝に記しています。晴明公自身がこの地を訪れた伝承ではありませんが、晴明公が学んだ賀茂の道が越前の古社に受け継がれている、という縁です。
参道の正面に立つ朱塗りの大鳥居は、元禄十年(1697年)に建立された両部鳥居で、本柱の間隔六・七五メートル、高さ八・一メートル。「賀茂下上大明神」と記された扁額は高さ二メートルに及び、福井藩の儒学者・伊藤坦庵の筆と伝わります。
福井県指定有形文化財で、令和二年(2020年)に解体修復を終え、令和四年(2022年)には創建千三百年を祝う奉祝大祭が営まれました。二本の縄を一本に締め込んだ注連縄は、夫婦和合を表すと伝わります。
拝殿の背後、石垣を築いた高台に本殿と両脇社が並び、境内には京都の賀茂御祖神社から御分霊を受けた干支守護社があります。
授与所では、秘伝書に基づく三百種以上の守札のほか、自ら願いを書き入れる「夢御神籤」などを受けることができます。
睦月神事の日程は年ごとに公式サイトで案内されます。
参道は長く、境内は森に囲まれています。冬季は積雪に注意してください。
社伝が「晴明公の師」とする賀茂氏──賀茂忠行・保憲父子と晴明の師弟関係、暦道の賀茂家と天文道の安倍家の分岐は、読み物「安倍晴明の師・賀茂忠行と保憲」で『今昔物語集』の原文から整理しています。
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最終更新:2026年9月5日