福井県

安倍晴明の墓(五輪塔)

〒919-1512 福井県三方上中郡若狭町無悪22-11

安倍晴明の墓(五輪塔)は、若狭町無悪(さかなし)の集落の西、安楽寺の裏手に広がる無悪・三生野両区の共同墓地の中央に立つ石塔です。鎌倉時代の作風を伝える町指定の石造物で、晴明公の墓と言い伝えられてきました。

由来と見どころ

若狭町指定文化財(石造物)「安倍晴明の墓(五輪塔)」。昭和三十六年(1961年)四月一日の指定で、無悪区が管理しています。『上中町郷土史』によれば花崗岩製で高さ約五尺(約一・五メートル)、下から二段目の水輪の正面に梵字らしきものが見えるほかは銘文がなく、『新わかさ探訪』は、各地の陰陽師が祖師として晴明公を祀った塚と同じく後世のもので、晴明公の没後三百年ほどを経た鎌倉時代の形式の石塔としています。

なぜここに晴明公の墓があるのか。『鳥羽村誌』と『上中町郷土史』は、この地に晴明公を招き、埋葬地に石のないことを祈念してもらったという伝説を伝え、『新わかさ探訪』は、埋葬地を決めるにあたって岩盤や大石のない場所を晴明公に占ってもらい、選ばれた地は九尺(約三メートル)掘っても石一つ出ない最適の地だったので、供養塔として五輪塔を建てた、それが今日まで晴明公の墓と伝えられてきた、と記します。塔が立つのは、参り墓と埋め墓を分ける両墓制の「埋め墓」で、昭和六十年代まで土葬が行われていた無悪と三生野の共同墓地です。塔の前には標柱が立ちます。隣の安楽寺境内には、平安の歌人・小野篁の墓と伝わる宝篋印塔(町指定)もあり、無悪は都人の伝説を二つ抱える里です。

アクセス

所在地
福井県三方上中郡若狭町無悪(安楽寺の西側、共同墓地の奥)
見学
自由。安楽寺西側の道路から六地蔵のある入口を経て、未舗装の道を進んだ先の埋葬地の中央
電車
JR小浜線「大鳥羽」駅から徒歩約30分
車
舞鶴若狭自動車道「若狭上中IC」から数分。安楽寺の敷地内に駐車スペース

近年まで土葬が行われていた埋葬地の中にあります。区の墓所であることに最大限の配慮をし、夏は草が茂るため足元に注意してください。

周辺の関連スポット

  • 地蔵菩薩(山内・南区共同墓地)(若狭町山内)——晴明公が悪鬼を鎮めるために彫ったと伝わる線刻の地蔵。若狭町に残るもう一つの晴明伝説。
  • 天社土御門神道本庁(おおい町名田庄)——晴明公の子孫・土御門家が陰陽道宗家として祭祀と暦術を伝える本庁。
  • 安倍晴明墓所(京都・嵯峨)——晴明神社の飛地境内に伝わる晴明公の墓所。

よくある質問

これは本当に安倍晴明の墓ですか。
晴明公の墓と言い伝えられてきた、若狭町指定文化財(石造物)の五輪塔です(昭和三十六年〈1961年〉四月一日指定、無悪区が管理)。『新わかさ探訪』は、各地の陰陽師が祖師として晴明公を祀った塚と同じく後世のもので、鎌倉時代の形式の石塔としています。
なぜここに晴明公の墓があるのですか。
『鳥羽村誌』と『上中町郷土史』は、この地に晴明公を招き、埋葬地に石のないことを祈念してもらったという伝説を伝えます。『新わかさ探訪』は、岩盤や大石のない場所を晴明公に占ってもらい、選ばれた地が九尺掘っても石が出ない最適の地だったので、供養塔として五輪塔を建てたと記します。
行き方と見学の注意を教えてください。
JR小浜線「大鳥羽」駅から徒歩約30分、車なら安楽寺の敷地内に駐車スペースがあります。塔が立つのは、昭和六十年代まで土葬が行われていた共同墓地(埋め墓)の中です。区の墓所なので最大限の配慮をし、夏は草が茂るため足元に注意してください。

出典・参考

社寺・関係者の方へ:掲載内容の訂正、写真のご提供、取材・掲載のご相談はお問い合わせからお願いいたします。

最終更新:2026年8月31日

指定
若狭町指定文化財(石造物)昭和三十六年四月一日
時代・規模
鎌倉時代。花崗岩、高さ約五尺
管理
無悪区
見学
自由(共同墓地内・配慮を)
所在地
〒919-1512 福井県三方上中郡若狭町無悪22-11
地図
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