昭和十三年竣工の社殿
現在の社殿は、明治神宮の社殿や宝物殿の設計で知られる内務省の大江博士の設計により昭和十三年(1938年)に竣工したもので、拝殿・幣殿・本殿に上質の台湾檜を用い、樹林に銅葺きの屋根が映えます。
福島稲荷神社は、福島市宮町、福島の中心市街地に鎮座する旧福島城下の総鎮守です。社伝によれば永延元年(987年)、朝廷の命で奥羽へ下向した陰陽道博士・安倍晴明公が、吹島の里(後の福島)を行く末に栄える地相と見立てて社を建て、豊受比売大神を勧請したのが始まりと伝わります。承安元年(1171年)には晴明公の孫・清明が社殿を改築したと伝わり、江戸時代には福島藩の鎮守として歴代藩主の崇敬を集めました。市民に「おいなりさん」と親しまれ、十月の例大祭は福島の秋祭りとして知られます。
公式サイトが載せる社伝によれば、創建は第六十六代一条天皇の永延元年(987年)。朝廷に重んじられていた陰陽道博士・安倍晴明公(従五位下)が詔を受けて奥羽へ下る途中、吹島の里(後の福島)を通りかかりました。西に吾妻の山なみ、北に信夫山、南に東へ向かう阿武隈川——晴明公はこの景観を愛でるとともに、土地が肥えて農耕に向き、行く末に大きく栄える地相だと見立てて社を建て、伊勢神宮外宮の御祭神である豊受比売大神を衣食住の守り神として勧請し、里の総鎮守としたと伝わります。承安元年(1171年)には晴明公の孫・清明が社殿を改築し、天正・慶長年間の兵火で焼失したのち、寛永元年(1624年)に板倉重憲が修営、福島藩主・堀田正仲が元禄二年(1689年)に本殿、同五年に拝殿を復興造営したことが棟札に残ります。元文五年(1740年)には板倉勝里が社殿を造営遷座し、明治二十八年(1895年)に県社に列しました。福島市の公式サイトも、十世紀に晴明公が奥州へ下った際に杉妻庄の鎮守として農業神を祀ったのが始まりとされるが、はっきりとした起源は不明であると記し、近世には代々の福島藩主に守られて福島の総鎮守となったと伝えています。
晴明公の奥羽下向を語る伝説は、この社のほかにも福島市内に残ります。公式サイトの「福島における晴明伝説」によれば、神亀年間に笹木野村の大杉が切り倒され、その精の祟りで天皇が病んだため、朝廷は晴明公と蘆屋道満を東奥に遣わして祈らせ、二人は杉の精を神として祀った。これが杉妻大明神であると伝わり、晴明公の功を称えた晴明塚は羽黒山真浄院の境内に、道満が祈祷した道満塚は太田町付近にあったと伝えられています。福島市杉妻町の紅葉山公園には、同じ「杉妻」の名を持つ杉妻稲荷神社もありますが、公式はこの社を杉妻大明神とは明記していません。
現在の社殿は、明治神宮の社殿や宝物殿の設計で知られる内務省の大江博士の設計により昭和十三年(1938年)に竣工したもので、拝殿・幣殿・本殿に上質の台湾檜を用い、樹林に銅葺きの屋根が映えます。
絵馬殿は社殿改築の際に旧拝殿を移築したもので、元禄五年(1692年)に藩主堀田正仲が造営したものと考えられ、現存する福島市の古建造物の中で最古とされます。
正面参道と西参道に立つ二基の檜の大鳥居は、明治神宮創建当時の東西外玉垣御門の鳥居を拝領し、昭和四十一年(1966年)に盛大なお木曳き行事を斎行して建立したもので、扁額は当時の明治神宮宮司・甘露寺受長の揮毫です。
境内には昭和三十八年に福島市指定天然記念物となった御神木のニレの大木(根回り四メートル、樹高二十一メートル)、火伏せの神を祀り旧初午に湯立て神事が行われる古峯神社、「おさすり石」のある足尾神社、法隆寺夢殿を模した八角形の聖徳太子神社などが並びます。
昭和六十二年(1987年)の御鎮座一千年を機に社殿の屋根葺替えと参道の改修が行われ、平成元年に竣功奉告祭が斎行されました。
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最終更新:2026年10月10日