晴明橋公園と「安倍晴明生誕の地」碑
晴明橋公園は交差点の角にある小さな公園で、「安倍晴明生誕の地」の石碑と晴明橋の由来を記した立て札が立ち、晴明橋に使われていたと伝わる石が並べられています。
公園からは筑波山が正面に望め、田園の彼方にそびえる山の姿が、白狐の母が三年を過ごしたという伝説の舞台を思わせます。
安倍晴明生誕地は、筑西市猫島(旧明野町)、筑波山を望む田園の中に整備された晴明橋公園にある「安倍晴明生誕の地」の石碑です。慶長年間に成立したとされる晴明伝『簠簋抄(ほきしょう)』が、晴明公は常陸国筑波山麓の猫島で生まれたと記すことから、筑西市は猫島を晴明公出身の地として伝えています。母の白狐が「恋しくば」の歌を残して去ったという晴明公の出生譚の原点ともされる地です。
筑西市の公式サイトは、旧明野町猫島を平安時代の陰陽師・安倍晴明の出身地として伝承される地と紹介し、科学の未発達な平安時代には陰陽師であり天文博士でもあった晴明公の言葉が「お告げ」として国家の運命を占い、政治や行事の決定に欠かせない存在であったこと、その神秘的な能力が庶民にまで広まり、今も多くの伝説が語り継がれていることを記しています。市が宮山ふるさとふれあい公園に設けた立て札「『恋しくば…』歌の由来」は、この地の出生伝承をこう語ります。晴明公の母は和泉国信太の森(大阪府)の白狐であった。ある日遊女姿で旅に出た白狐は、常陸国筑波山麓の猫島に三年間滞在し、この地で安倍仲麻呂の子孫と出逢って恋に落ち、やがて童子(晴明)が生まれた。あるとき童子に狐の寝姿を見られてしまった母は、「恋しくば 尋ねきて見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」の歌を残してこの地を去った。神童と呼ばれた童子は都に上り、晴明と名乗って陰陽の道を学んだが、母恋しさのあまり信太の森を訪ね、母と再会して、母が信太大明神の化身であったことを知った——。立て札は、慶長年間成立の『簠簋抄』に晴明公の筑西市出生が明記されており、後のさまざまな晴明伝の原点となっていること、「恋しくば」の歌が晴明公の前半生を語る枕詞でもあることを記しています。
『簠簋抄』は、晴明公に仮託された陰陽道書『簠簋内伝』の注釈書で、筆者・成立年代には諸説があります。晴明公の生誕地については摂津国阿倍野(大阪市阿倍野区)とする説が広く知られ、讃岐など他の伝承地もあり、猫島の生誕伝承もその一つとして語り継がれてきたものです。猫島には晴明公が造ったと伝わる石橋「晴明橋」の伝説も残ります。晴明橋公園の立て札によれば、昔この地は湿地帯で、雨が降ると近くの観音川が増水して水田が水浸しになった。それに心を痛めた晴明公が地形を利用して石橋を架けたところ、橋は堰の役目を果たして川の水をしっかりと防ぎ、災害から救われた村人はたいへん感謝したと伝わります。
晴明橋公園は交差点の角にある小さな公園で、「安倍晴明生誕の地」の石碑と晴明橋の由来を記した立て札が立ち、晴明橋に使われていたと伝わる石が並べられています。
公園からは筑波山が正面に望め、田園の彼方にそびえる山の姿が、白狐の母が三年を過ごしたという伝説の舞台を思わせます。
晴明橋公園から約4.2km・車で約6分(地図の目安)の宮山ふるさとふれあい公園(筑西市宮山)には、展望台の1階に「安倍晴明展示館」があり、晴明公と陰陽道に関する資料が展示されていると紹介されています(筑西市・地域メディア)。入口には「恋しくば」の歌碑が立ちます。公園は、毎月第2・第4水曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始が休園日です。
猫島の集落には、旧家の敷地内に晴明公を祀る社や井戸が伝わりますが、いずれも個人の所有で非公開です。
公共交通機関の便はよくないため、車でのアクセスが基本です(下館駅から公共交通では約1時間40分かかる表示。地図の目安)。
大阪・奈良・讃岐の生誕伝承との比較は、読み物「安倍晴明の生誕地はどこか?──四つの伝承を史料から読む」をご覧ください。
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最終更新:2026年10月17日